流線、新たに流線


先々週?あたりで誕生日でした。無事に歳を取りまして!よかったです。みなさんいつもありがとうございます。職場でもなんかいっぱいお祝いしてもらって嬉しかった。嬉しすぎて「ア〜毎日誕生日やったらいいのに〜」って呟くほど。周囲は呆れていました。。


振り返ってみれば中学生や高校生のころ。自分の容姿がまぁ嫌いで嫌いで、鏡を見られなかった。大きくなったら絶対整形する!って言って、友だちに説教されたこともあった(めちゃくちゃいい友だちだけど、この件でだけ結構な大喧嘩した)。今となっては向こうの言い分も理解できるけど、あの頃はなんで反対されないといけないのか分からなくてただただ憤った。自分の顔を嫌いなまま生き続けるなんて苦行でしかないと思ってたから。

結果的にまだやってないんですけどね。今のところやる予定も無いです(※わたしは整形否定派ではありません)。


大学のときは無。特に自分の顔嫌いとかはなかったけどもちろん好きでもなくて、しかし自分の性格は結構好きになれて。だいぶよかったと思います。今振り返ると、いろんな人が、わたしの存在自体をたくさん認めてくれたんだなあと思う。自分と他人との距離のちょうどよいところを見つけて、他人だけじゃなくて自分も大切にできるようになったような気がします。


(plenty「人との距離のはかりかた」、、、いい歌ですよね、、、)


自分のことをボロボロに傷つけるようなひどいことをしたこともあったが、それでも自分を愛す努力をするべきだと分かった。だから自ずと容姿に対しても大事にするべきだと思い始めて、それでなんとか最近に至る。お化粧のこと調べてやってみたり、美容室も(少しは)まめに行くようにしたり、髪の毛大事にしてみたり、服を整理してみたり。「できる自分も、できない自分も、まるごと愛する」ことが、少しずつできるようになった気がしますね、たぶんね、、。


「できないところも含めて全部愛する」というのは去年のSCの先生の言葉の受け売りですけど、すごく大切だと思いました。子どもに対しても自分に対しても。けっこう難しいことだけどね。


そんなことを考えながらふと、中学生のとき友だちの誕生日プレゼントにCDをあげたことあったなぁと思い出して、それがサカナクションDocumentaLy」だったんですね〜。今朝そのアルバム聞きながらお風呂掃除してたら、あの頃の自分を思い出して、やっぱり胸がぎゅうっとなった。


毎日毎日漠然と不安だった。それでもなんとか生きてきて、歳をこつこつ重ねてきて、ここまでこれました。自分が真摯に自分と向き合い続けてきたからこそ。そして何よりたくさんの人が周りにいてくれたからこそ。


25歳の節目に、気持ち新たに、感謝を忘れずに生きていきたいとする決心です。(^_^)本当にいつもありがとうございます、これからもどうかよろしくお願いします。わたしより。